<関東実業団インタビュー>

vol.1 『1年の終わりに“よかったね”と言いたい』
有田一哉 大倉三幸#5
4年目 土浦日大高−日本大 1979・8・9生 GF 190cm
経歴:第24回(平成6年度)全国中学校バスケットボール大会準優勝(中3)、第27回(平成8年度)全国高校バスケットボール選抜大会(ウインターカップ)ベスト8(高2)、第39回(平成11年度)関東学生新人大会3位(大2)、第53回(平成13年度)インカレベスト8(大4)

ゲームの写真を見ていると、時計が止まっている時間に写っている彼はなぜかいつも笑顔だった。“楽しそうにプレーする”その人は、バスケットボールへの思いを淡々と語ってくれた。
笑顔の理由
楽しくやりたいじゃないですか。自分がしかめ面をしていたら若い奴らが話しかけにくくなるでしょう。「ここはこうしましょうよ。」とか、「今のはちょっと…。」とかって。だからなるべく笑顔でいるようにしています。社会人になってからですね、こんな風に考えるようになったのは。

“こだわり”
子どもの頃は野球少年でした。写真はいつも野球帽かぶって、バットをもって写ってましたね。たまたま誘われてバスケットを初めてやった時、シュートがリングに当らないで“スパッ!”って入った時のあの気持ちよさが忘れられないんですよ、今でも。それでバスケットを始めました。
番号には特にこだわりはなく、昨年チームの方針で5番になって、今年もそのまま5番にしました。自由な番号がつけられるなら31番がいいですね。レジー・ミラー(NBAインディアナ・ペイサーズ#31・クラッチシューターとして有名なプレーヤー。04-05シーズン限りで引退を表明している)が好きなんですよ。シュートへのこだわりですか?特にないですよ。ただリングに当ってガタガタしながら入るより、スパッて入ったほうが気持ちがいいですよね。

プレースタイル
今のプレースタイルですか…。中学・高校・大学・実業団と変わってきてますね。強いて言えば、中学の時に戻ったって感じでしょうかね。あの頃はオフェンスばかりやっていましたから。
高校に入って自分のやりたいポジションをやらせてもらえなくて…4番をやってました。高校とかにもトレードがあったらいいのにって思いますよね。入ってみたらプレースタイルが合わないとかってあるじゃないですか。そこでこの選手とこの選手を交換みたいな(笑)。
大学ではポジションは(好きなところで)やらせてもらえてたのですが、キャプテンだったこともあって、チームをまとめることの方が大きかったです。
今はオフェンスは自由にがむしゃらにやってます。ディフェンスのマークがきついとかは気になりませんね。プレーでは相手の嫌がるところをつくようにしています。苦手なマッチアップ相手ですか?日本無線の小山さん(#13)ですね。大学の先輩で、僕のプレーをよく知ってますから嫌ですね。僕の止め方を知ってるんですよ(笑)。
ディフェンスでは僕はファールが少ないのですが、なるべくしないようにしています。ファールするとゲームに出られなくなりますから。でもファールが少ないってことは、もっとアグレッシブにプレッシャーをかけていってもいいのかなとも思いますね。ディフェンスの時はいろいろ状況とかを考えて、相手の癖を見て合わせるようにしています。がむしゃらにやるのはオフェンスだけですね。

プレーが合う楽しさ
遠藤とはプレーが合うんですよ。合わせてくれる人間がいるとやりやすいですよね。遠藤はわかってくれるし、あわせてくれるっていうか、感覚が合うんですね。そういう“合う人間”がチームにいれば続けていけると思います。いないと面白くないし、楽しくないでしょう。遠藤と最初に会ったときはなんかフワフワしてて「こいつ大丈夫か ?! 」って思いましたがね(笑)。でも一緒にやってみるとパスを取ってくれないとか、パスが通らないというのがないんです。
去年の選抜チーム(関東実業団選抜vs関東学生選抜)で小納さん(横河電機本社#15)と一緒にやったとき、なんかこう“ここ!”っていうところにパスが入るんですよ。ああいうパスを出す方になりたいって思いましたね。
それぞれ合う合わないっていうのがあると思いますが、少ない練習時間の中でチームとして50のものを100にするよりも、最初が80のものを100にする方が簡単にいくでしょう。

挫折と葛藤
これまでずっとバスケだけやってて、バスケしかなくて、大学卒業するときは、JBLへ行くか、バスケをやめるか…って思っていました。でも社会人としての経験をしようと、 「それでバスケを続けられるなら」と思いましたね。学生ではなく社会人として自分自身を精神的に成長させたくて。でも、そんなに甘くない。社会人として仕事が大切で、練習する環境など学生のようにはできない。「力を抜け」って言われて、ようやく楽にやれるようになりました。
大学1部とのレベルの差を感じていた中で、安斎(大倉三幸→大塚商会→bjリーグ埼玉ブロンクスドラフト1位指名)が2年目の時入ってきて、「こいつがいるなら頑張ろう」って思えたんです。でもその年は自分が怪我をして一年間プレーできなくてチームにも迷惑をかけてしまいました。安斎がやめた時はもちろんショックでしたが、それ以上に安斎には本当に申し訳ないって思いましたし、自分自身に悔しさもありました。安斎がいた時に結果が出せなかった。
この2年目の怪我が1つの契機になり『若い世代にそういう思いをさせたくない』って言う責任感みたいな気持ちが強くなりましたね。

“若手プレーヤー”として
若手だと自分では思っていますよ。「プレーが若手ではない」って言われるかもしれないですけど、それはそれでいいです(笑)。自分は2年目の1年間を怪我で棒に振ったということもあって、気持ちでは“中堅”とかって思わないし、思いたくないですね。若手としてまだまだ自由にやりたいっていう気持ちもありますし、もっと上も目指したいと思っています。やりたいことをやって、その上でチームに貢献できればと思っています。

バスケットボールについて考える
今のバスケットの試合は高校・大学・社会人と段々観客が少なくなっていきますよね。何故どんどん少なくなるんだろうって考えますね。僕が中学の頃は日大の全盛期で、テレビでインカレとか見てたんです。人がいっぱい入っててすごいなって思っていました。その思いが日大への憧れになって残ったように思います。今は地上波でのテレビ放送もあまりないし。でも僕らの頃より最近はかなり(観客が)入っているように思いますね。
自分は中学・高校・大学・社会人とずっとバスケットをやってきましたから、そういうものを何らかの形で伝えることができたら、何かの糧にはなるんじゃないかなって思います。結局バスケットしかやってきてないですからね。
『実業団バスケは一線から退く』…そういうイメージは正直ありましたよ。でも今は小納さんとかもいて、大学からもいい選手が入ってくるようになって、リーグ全体のレベルも上がってきました。そういうリーグがあれば魅力があるし、こういうのが企業スポーツのあり方みたいなのはありますね。
大それた事は言えないけど、バスケットが面白くて盛り上がっていけば、もっとバスケットの世界も横のつながりとか、縦のつながりとかが出てくるかなと思います。いろいろな環境のバスケットがあるほうがいいでしょう。方法は色々あるけど、プレーヤーをもしやめてもバスケットに係わっていられるっていうのはありがたいことですからね。今はまだあまり考えてはないですけど(笑)。

実業団バスケットを続けて
仕事をしながらバスケットをするのって大変じゃないですか。でも仕事ができて、バスケットもできるって凄いと思うんですよね。だから仕事もしっかりとやるようにしています。大倉三幸のメンバーはみんなそこのところも頑張っていますよね。それと大倉三幸は会社全体の協力が大きくて、会場にも本当によく足を運んでくれますし、応援してくれます。そういうことにも素直に感謝しています。なので今年一年は大倉三幸で結果を出したいです。責任を持ってやっていかないといけない。そこをきちんとやれば何かがかわるでしょう。だから今は自分のやっていることをしっかりやる。そうでないとどこに行ってもなにもできない。
そして1年が終わった時「よかったね」って言って終わりたいですね。「ダメだったね」では終わりたくないです。1年1年が勝負ですから、怪我をしないように気をつけて、結果を出していきたいです。
(インタビュー:2005年6月22日)


日本無線#13小山とのマッチアップ

#15遠藤へのパス

プレー中のよく見かける仕草

<取材・文 渡辺美香>

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