<ゴンゾーさんのレフェリー・コラム>  
レフェリーはゲームに不可欠な存在でありながら、彼らの言い分はほとんど表に出ません。レフェリーの現状、レフェリーの限界、そしてレフェリーの夢…。プロのレフェリーを目指す“ゴンゾーさん”が飾らない気持ちをつづります。
〈1〉『ひねくれもののレフ、彼がレフを目指すまで 』 (2004.02.20)

んにちは。みなさん、レフは好きですか?審判は大好きですか?レフが審判が大好きでしょうがない、ゴンゾーです。初めまして。プロのレフェリーを目指し2年前からアメリカ・カリフォルニアで挑戦中です。今回このような機会を与えて頂き本当にありがとうございます。
なぜレフなのか、多くのプレイヤー・コーチが海外に行き世界のレベルに挑戦する中、どうしてレフを目指すようになったのか?まずレフを始めたきっかけから述べたいと思います。

バスケット好きな少年が、部の規則で笛を吹くことに
私はバスケットを始めた頃からただただバスケットが好きで、プレイすることも観ることも教えることもすべて好きでした。もちろん最初はレフではなくプレイヤーに憧れ、いつもバスケットのビデオを見たりいいプレイをスローモーションで見たりして、少しでも上達したいと思っていました。ダンクをするのが夢で、いつか必ず出来るんだと思い込んでいた自分自身もいました。
私は神奈川の出身で、母校の恩師は審判でも指折りの方でした。けれど高校までまったく審判には興味がありませんでした。

しかし進んだ日本体育大学では、推薦入試以外の入部部員は1・2年生の間は審判を行わなくてはいけないというシステムになっていました。たくさんの同期の仲間達はもちろんプレイヤー志望です。自分もそうでした、だから最初は審判なんてやりたくないと心の中ではいつも、思っていました。
そう思いながらも1年生が終わる頃から審判の講習会が始まり、ルールブックに目を通しコートを使って動きの練習もしていきました。

それから多くの場所でレフの練習をすることになりました。それはとても今に生きています。ユニバーシアードの合宿・東日本カーニバル・ヤングメン合宿・日韓合宿…中でも1番いい経験が積めたのが1軍チームのスクリメイジです。これはチーム内の紅白戦なのですが、すごく勉強になりました。もちろん、文句もたくさん言われましたが。

こうして多くの試合をレフするようになったのですが、この頃もまだプレイヤーでやっていきたいというプレイヤー志望でしたし大学にも教師を目指して入学していたので、まさかアメリカでレフになることに挑戦するなんて夢にも見ていませんでした。

「選手に失礼だ」と怒られたことでレフについての考え方・姿勢が変わった
大きなきっかけがあったのは大学3年の時です。伊藤先生という、学生レフの割当てを決まる立場の方との出会いでした。

その日は私自身前の日の夜遅くまで練習があり、さらに審判の当日の朝も朝錬のようなものがあって正直審判をするという気持ちではありませんでした。
そんなふざけた気持ちで高校生の試合のレフをしていたとき、終わった後に伊藤先生にすごく怒られました。「選手に失礼だ」と。伊藤先生は、東京の高校の試合があるときは私達学生をいつも気にかけてくれていました。そんな伊藤先生が私の試合を見て怒ってくれたのです。そこからです、レフについて考え方も姿勢も変わったのは。大学時代に審判をするメリットは、様々なところでたくさんの良い人格者に出会えるということ、審判を通して自分自身を成長させられる糧を得られるということです。もし、あの時伊藤先生に怒られていなかったら今頃、レフはしていなかったでしょう。この場を借りて、伊藤先生、ありがとうございました。

大学ではもう1つ、毎年1学年ずつに“レフェリーチーフ”というレフェリーの要請が外部から来た時に対応する役割を持つ者を1人だけ選ぶというシステムがありました。運良くもその任につけることが出来たのがレフェリー人生を歩むきっかけになるとは、その時は全く予想もしませんでした。
運良くといいましたが、本当は誰もやる人がいなかったからといった方が正しいです。
ですがチーフの立場の中で人をまとめるという経験をしたことが、夢へのきっかけになったというところでしょうか。

1人ぐらいプロのレフェリーを目指すひねくれものがいたっていいじゃないか
そしてもう1つ、大学3年生の時にドリームチームが来日した試合(スーパードリームゲーム2000)で日本の方がレフしていました。それを見て、オリンピックでレフをするということはもうしている方がいたので、1人ぐらいアメリカでプロのレフになるという人がいてもいいと考え始めました。“アメリカ”と思ったのは、やはり世界最高峰のバスケリーグ(NBA)があるからには、レフのレベルも世界でも最先端の技術を持った人達がいると思ったからです。

アメリカに行ってプロのレフェリーになるという夢。多くのコーチが海外に出て勉強する、多くのプレイヤーが世界に挑戦する、じゃあ、1人ぐらいプロのレフェリーを目指す、馬鹿なひねくれた1匹狼がいてもいいじゃないかと思いました。そういったプレイヤーやコーチの方々が戻ってきた時に、彼らと同じようにレフにもレベルアップが必要なのでは、と1人で勝手に考えてアメリカプロのレフェリーになること目指し、決意しました。
大河原 則人(愛称:ゴンゾー)
1979年生まれ。中学よりバスケットを始め、日体大バスケット部にてレフェリーを始める。NBAのプロのレフェリーを目指し、大学4年時に卒業を待たず渡米。審判への熱意でカレッジキャンプや日系リーグで笛を吹くチャンスをつかみ、今年はABAのスクリメージでも経験を積んでいる。

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<構成 北村美夏>

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