<ゴンゾーさんのレフェリー・コラム>  
レフェリーはゲームに不可欠な存在でありながら、彼らの言い分はほとんど表に出ません。レフェリーの現状、レフェリーの限界、そしてレフェリーの夢…。プロのレフェリーを目指す“ゴンゾーさん”が飾らない気持ちをつづります。
〈6〉『シマウマユニフォーム』(2004.06.01)

自分の意志でPAC10キャンプに参加
  PAC10、それはカンファレンスの名前―日本で言えば関東ブロック、東北ブロックというようなものだ。UCLA、USC、オレゴン、オレゴン州立、アリゾナ、アリゾナ州立、ワシントン、ワシントン州立、スタンフォードそしてカリフォル二ア大学の10校が所属し、パシフィックオーシャン(太平洋)側にあるカンファレンスで西海岸最高のレベルであるのがこのPAC10である。

 ヒュウ・ホりンズと会った夏、私はPAC10のキャンプに参加した。
 もちろんそれは、ヒュウに勧められたわけでもなく、自分の意志によってだ。アメリカでの生活の中で、いや日本でもだが、誰かに紹介されてとか、向こうから話がきたりとか、誰かがやっていたことを見てやるということは決してなかった。それだけ要領が悪いといったらそれまでだが、やるのは自分自身、自分で道を拓かなかったら何も出来ないといつも思っていた。

 このキャンプにいくことはヒュウにも話していた。しかし、キャンプに参加する3日前に重要なことに気付いた。

「これはお前へのプレゼントだ。キャンプしっかりな」
  それは、日本のレフェリー用具しかもっていないということだった。こちらのレフェリーが上に着るシャツは黒と白の線が交互に入った、まさにシマウマ模様のレフェリーカッターだった。そのレフェリーのカッターがどこに売っているのかさえも知らなかった。
  それに気付いた私は、ヒュウにシマウマユニフォームを持っているかを尋ねた。もちろん彼の答えは、ノーだった。NBAのユニフォームは持っているが、シマウマのユニフォームは27年前に家のどこかにしまい込んだままだという。このまま、日本のレフェリー用具でやるかと思った時、ヒュウホリンズが俺が何とかしてやると言ってきた。

 次の日、マイケルの練習に参加するとヒュウが『ほら、プレゼントだ』といって私に紙袋を渡してきた、何かと思い開けてみると、そこにはシマウマユニフォームが入っていた。ヒュウが言った。
「これはお前へのプレゼントだ。キャンプしっかりな」
そのときはじめて手にしたシマウマユニフォームに感動した。

 そして何よりも我が師匠からの贈り物ということに恥ずかしながら涙した。その大切な贈り物を持ってキャンプに参加した。それは3日間行なわれたが、今まで見たことのないレフェリーのキャンプだった。

(次回分は来週掲載です!)
大河原 則人(愛称:ゴンゾー)
1979年生まれ。中学よりバスケットを始め、日体大バスケット部にてレフェリーを始める。NBAのプロのレフェリーを目指し、大学4年時に卒業を待たず渡米。審判への熱意でカレッジキャンプや日系リーグで笛を吹くチャンスをつかみ、今年はABAのスクリメージでも経験を積んでいる。

バックナンバー

〈1〉『ひねくれもののレフ、彼がレフを目指すまで 』
(2004.02.20) ・・・こちら
〈2〉『パシフィックオーシャンを渡った日』 (2004.02.06) ・・・こちら
〈3〉『我が師匠 その名はミスター・ヒュウ』 その1(2004
.04.20) ・・・こちら
〈4〉『我が師匠 その名はミスター・ヒュウ』
その2(2004
.04.27) ・・・こちら
〈5〉『我が師匠 その名はミスター・ヒュウ』 その3(2004
.05.12) ・・・こちら

<文 大河原則人(ゴンゾーさん)/構成 北村美夏>

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